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映画『屋根裏のラジャー』についてです。
ネットフリックスで配信されたのを機に観てみました!
本記事では、
- 黒い女の子のセリフ
- 最後、なぜ黒い女の子はミスター・バンティングに食べられたのか
- なぜラジャーだけ、エミリーを覚えていられたのか
など気になる疑問について、考察・感想をご紹介しています。
もしよろしければご覧くださいませ。
【屋根裏のラジャー】作品情報
作品名 | 『屋根裏のラジャー』 |
---|---|
原作 | A.F.ハロルド『The Imaginary(ぼくが消えないうちに)』 |
公開日 | 2023年12月15日 |
制作国 | 日本 |
上映時間 | 109分(1時間49分) |
監督 | 百瀬 義行(ももせ よしゆき) |
百瀬義行監督は、過去にスタジオジブリに所属されていました。
「火垂るの墓」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」など多くの作品で、アニメーターとして活躍されていました。
【屋根裏のラジャー】主な登場人物/キャスト
- ラジャー/寺田心
……本作の主人公。アマンダのイマジナリーフレンド。 - アマンダ/鈴木梨央
……ラジャーのお友達。素晴らしい想像力をもっている。 - ジンザン/山田孝之
……オッドアイの猫。消えそうなイマジナリーを扉の向こう側へ案内している。 - ミスター・バンティング/イッセー尾形
……大人でありながら、イマジナリーフレンドを連れている男。 - 黒い女の子
……ミスター・バンティングのイマジナリーフレンド。 - ジリー/安藤サクラ
……ラジャーの母親。 - レイゾウコ/寺尾聰
……年老いた犬。 - エミリー/仲里依紗
……イマジナリー。仲間たちのリーダーシップ的存在。
【屋根裏のラジャー】考察!
考察1:黒い女の子のセリフは?なんて言った?
黒い女の子の最後のセリフは、「ミスター・バンティングの名前」を呼んだのでは……と考察します。
黒い女の子が喋る前に、ラジャーとアマンダが互いの名前を呼び合い、互いの身を案じています。
その様子を見守っていた黒い女の子は、ミスター・バンティングに抱きついて、目尻に涙を溜め笑顔を浮かべ「ほにゃらら……」と呼びかけるのです。
上記のシーンからは、”わたしもそうありたかった、昔はわたしたちもそうだった……”と訴えているように見えます。
因みに、作中でミスター・バンティングの名前については明かされていません。
だからこそ黒い女の子のセリフが重みのあるものになったと思います。
ミスター・バンティングは永く生きながらえていますから、恐らく彼の名前を知っているのは、本人と黒い女の子だけなのでは?
(例えば、子供の調査や病院の受付でも、「ミスター・バンティング」とのみ名乗っています)
ミスター・バンティングの名前(本名は?)
ミスター・バンティングの名前(本名)を予想してみたいと思います。
原作がイギリスのお話なので、英国男性で使われる名前だとすると…発音的に、
ユアン、オリバー(オーリー)、リアム
あたりかな?と検討をつけてみました。
セリフの発音でいくと「ユアン(Ewan)」が一番近いと思うのですが、
「オリヴァー(Oliver)」「リアム(Liam)」も候補に挙げました。理由としては、
- 仮にニックネームで呼んでいたとしたら、仲良しの過去を彷彿させて泣かせるから
- 「リアム」には「欲望」「願望」「保護者」「ボス」という意味がありピッタリだから
です。
また、仮に声優さんが、儚げにふにゃふにゃ喋るとしたら、黒い女の子の最後のセリフの発音になりそう――とも思いました。笑
考察2:黒い女の子の正体は?
黒い女の子の正体は、「ミスター・バンティングのイマジナリーフレンド」です。
見えないお友達は、本来「人間の子供の想像力」によって存在を維持しています。
ミスター・バンティングはもう大人なので、想像力がありません。
よって、他の子供たちのイマジナリーたちを食らうことで、黒い女の子とのお別れを引き延ばしているのです。
因みに、黒い女の子に色味がなく腐ったような瘴気を帯びているのは、本来、ミスター・バンティングが亡くなっているからだと思われます。
黒い女の子は、不安定なイマジナリーフレンドなのです。
黒い女の子はなぜ喋らない?
因みに、なぜ黒い女の子が喋らないのかといえば、やはりハンディングの想像力が無くなっているからでしょう。
黒い女の子を維持させるのに精一杯なのか……黒い女の子はまるで操り人形。
ミスター・バンティングの命令に従うだけの傀儡人形でのようです。
結局は、ハンティングがふたりいるだけのようにも思えますね。
考察3:最後、黒い女の子はなぜ自らMr.バンティングに食べられたの?
1:自我を取り戻したから
なぜ最後に黒い女の子が自ら食べられたのかといえば、「自我・感情」を取り戻したからです。
根拠としては、黒い女の子が涙を流していたからです。
さらに、ミスター・バンティングの意思に逆らう行動を見せ、初めて(作中では)言葉も話しました。
因みに、なぜ黒い女の子の感情が復活したのでしょうか?
理由としては、
- アマンダたちの素晴らしい想像力に触れた(イマジナリーたちは図書館の傍で自分を保てる)
- 友達同士の絆に触れた
の2点かなと思います。
2:大人になったミスター・バンティングに、目も当てられなかったから
大人になったミスター・バンティングに、目も当てられなかったからでしょう。
かつては若い頃、心を通わし合っていたハンティングと少女。
少女とどうしても別れたくなかったミスター・バンティングには、もしかしたら成長と共に恋愛感情さえあったのかもしれませんね。
いずれにせよ、その関係性も遥か昔のことです。
引用元:映画『屋根裏のラジャー』スタジオポノック「たかがイマジナリー一匹のために。大人しく食わせればいいだろう」(Mr.バンティング)
「“たかが一匹”」……。
そう口にしたミスター・バンティングは、いつしか目的を失った怪異に成り果ててしまったのだと思います。
イマジナリー(想像力)に固執するミスター・バンティングはちっとも幸せに見えません。年ばかり重ね、精神年齢が追い付いていません。願望にとりつかれているだけの、悲しい老体です。
そしてまた、黒い女の子も幸せではありませんでした。なぜなら、ふたりは「お友達」とはいえない関係性だからです。
黒い少女が「もう終わりにしたい」と願ったのは、誰よりミスター・バンティングのためだったのでしょう。
考察4:最後、ミスター・バンティングはどうなった?なぜ消えた?
ミスター・バンティングは亡くなりました。
理由としては、黒い女の子(ミスター・バンティングの想像力)が消滅したからです。
「ずっと生き続ける奇跡」もまた想像力の賜物だったのです。
引用元:映画『屋根裏のラジャー』スタジオポノック「想像がね、決して勝てないものがあるんだ。それはね、現実だ」(Mr.バンティング)
ミスター・バンティングにつきつけられた現実とは、「――お前はもう死んでいる」という事実です。
何故なら、通常、人は何百年も生きられないからです。
よって、黒い女の子が亡くなる=想像力が無くなる=寿命がもうない、という現実だけが残りました。
その結果、ミスター・バンティングはみるみるうちに老衰し、消えてしまいました。
考察5:なぜラジャーだけエミリーを忘れなかったの?
なぜ、ラジャーだけエミリーを忘れなかったのかといえば、
エミリーから貰ったゴーグルが、ラジャーのアイデンティティーになっていたからと思います。
例えば、本来、エミリーの消滅と共に、エミリーの所持品も消滅しなければおかしいですよね。
が、ゴーグルは消滅しませんでした。
何故なら、「エミリーのゴーグル」の持ち主は既にラジャーに代わっていたのです。
つまり、ラジャーが覚えているのは「エミリーの思い出・記憶」ではなく「自身の情報」なのだと思います。
その結果、ラジャーに「エミリという少女から貰ったゴーグルを首からかけている」という属性が加わったという考察です。
考察6.イマジナリーがイマジナリーを忘れてしまうのはなぜ?
因みに、なぜイマジナリーたちがエミリーのことを忘れてしまったのかといえば、イマジナリーはあくまで想像物だからといえます。
イマジナリーには人間のような想像力がありません。なのでエミリーがこの世に存在しない限り、彼らが彼女を想像していることになってしまうので、法則違反となるのでしょう。
もし、今後ラジャーが、イマジナリーのみんなにエミリーについて知ってもらうなら、ゴーグルの背景を語り共有する方法がありそうです。
最後、ラジャーはゴーグルを身につけていませんでしたね。いずれにせよイマジナリーたちは忘れさられる運命なのかもしれませんね。
現実においても、イマジナリーフレンドは大抵忘れていくものなので、リアルが反映されているのかもしれません。
考察7:なぜゴーグルに真実の姿(男の子のラジャー)が映った?
なぜゴーグルに真実の姿(男の子のラジャー)が映ったのかといえば、「鏡は真実を映す」という言葉があるように、レンズを通して見たからだと思います。
原作でも鏡は登場しています。
また、メタ視点でいえば、
“エミリーが助けてくれた”という感動的な演出をとりいれたかったのではないでしょうか。
エミリーのバトンが繋がり、観客もホッとしたことでしょう……!
【屋根裏のラジャー】感想
楽しかったです!
見せ場は沢山ありますが、個人的には最後のレイゾウコのシーンが大好きです。
わたしの自室には、幼いころから大切にしている大型犬のぬいぐるみが一体います。
普段は置いてあるだけのボロボロなぬいぐるみだけど、そのときばかりは抱きしめました。
号泣しながら(笑)。
昔は、あんなにぬいぐるみに夢中だったのに……。
人の心の成長って不思議ですね。
……といいつつも、大人でも社会的責任や立場から解放されれば、子供のように人形や玩具に夢中になる人多そう……とも思います(笑)。
デジタルゲームや漫画でいうと、大人になっても夢中な人が多いでしょうかね。
「少年心・少女心」を感じ、素敵だな~と思います。
実際にイマジナリーフレンドがいた方からしてみたら、より刺さると思います。
子供時代を思い出したいとき、還りたくなったとき、子供心に寄り添いたくなったときに、そっと観返したい作品です。
【屋根裏のラジャー】黒い女の子のセリフや最後なぜ食べられたのか考察まとめ
本記事では、映画『屋根裏のラジャー』についてまとめてみました。
考察したところ、
- 黒い女の子のセリフは?……ミスター・バンティングの本名(名前)を呼んだ。
- 黒い女の子の正体は?……ミスター・バンティングのイマジナリー・フレンド。不完全。
- 黒い女の子はなぜ喋らないの?……ミスター・バンティングの想像力が足りないから。
- 最後、黒い女の子はなぜ自らMr.バンティングに食べられた?……ラジャーやアマンダたちに触れることで、自我・感情を取り戻したから。
- 最後、ミスター・バンディングはどうなった?……亡くなった。
- なぜラジャーだけエミリを忘れないの?……エミリーから貰ったゴーグルを身につけたことで、アイデンティティーとしてラジャーの情報に組み込まれたため。
- なぜゴーグルに真実の姿(男の子のラジャー)が映った?……レンズを通したことで真実を映し出したから。エミリーの想いが助けてくれた。
などという結果になりました。
ご参考になりましたら幸いです。
では、またどこかの作品でお会いできることを期待して。最後までご覧頂きありがとうございました。